不動産の状況<概要>
またおいおい細かく書いていきますが、現状は以下のような感じです。
2021年11月
区分1部屋 月収入 約50,000円
アパート(5部屋満室) 約180,000円
シェアハウス(5部屋中2室空) 約130,000円
収入計 360,000円
借入金返済 200,000円ぐらい
サラリーマンをしているので税金は高くなってしまうのですがざっくり計算で考え、
手元に純粋な収入として残るのは7万~8万といったところでしょうか。
リタイヤ後は税金が減ることと、借入金の一部が終わるので月に15万~20万円がコンスタントに入ってくれば、持ち家(ローンなし)ということもあり、あとは配当とウーバーイーツでそれなりに楽しく暮らせるかなあ、と思っています。
予定変更!2年後のセミリタイヤを目指す!!
50歳でのセミリタイヤを目指して昨年ブログを開始しました。
仕事の忙しさもあり更新をすっかり忘れていたのですが、今年初頭に転機がありました。
軽い脳卒中になったのです。。
人生は最低75年は続くものと思っていました。それを前提に将来計画を立てていましたが病気になることよって、「人は突然死んだり動けなくなることがあるんだ」ということをリアルに思い知ったのです。
幸い後遺症なく退院できましたが、入院前と後では思考が変わりました。
「こうしてはいられない」
すぐに使っていないものを売ったり、整理を始めました。
いつ死んでも家族に迷惑をかけないように、
そして「早くリタイヤできるように」。
そうです、50歳を待たずにリタイヤすることに決めました。
とはいえ仕事のほか様々な準備も必要狙いは2年後です。
楽しみになってきました。
ウーバーイーツはセミリタイヤには最高なのでは
仕事はしていますが、たまにバイクでウーバーイーツの配達員をしています。
なぜ配達員を始めたのかと言うと「趣味」なんです。
バイクは学生時代から乗っていますが、サーキットに行くわけでもなく、林道に行くわけでもなく、ただ街を流すのが大好きでした。
仕事をするようになってからも、帰宅後に夜の街をバイクでゆっくり走るという趣味があったため、ウーバーイーツのことを知ったときに「これって遊びみたいで楽しそう」と思っていました。
サービス開始当初は400ccのスクーターに乗っており自分が配達員を始めることは考えていなかったのですが(ウーバーイーツは126cc以上のバイクを使う場合は商用の登録が必要。125cc以下なら自家用のをそのまま使えるのです)、しばらくするうちにどうしてもムズムズして配達をやってみたくなり、古い2ストのヤマハ・ギアを購入してしまったのです。
始めてみたら、もう最高です。
始めた当初は私が住んでいる地域でのサービスが始まっていなかったので休日に23区まで遠征して、遅くまで配達していることもありました。今では自宅周辺もエリアになり、最初の一本目は自宅でコーヒーを飲みながら注文が入るのを待っています。
何が最高かというとその「自由さ」です。始めたくなったらオン、やめたくなったらオフするだけ。これこそまさに理想の働きかたです。
晴れていたらオン、雨が降っていたり気分が乗らないときはやらない。働いていても眠くなったら帰る。都心で配達をしていて、良さげなカフェを見つけたらオフにしてコーヒーを一杯。飲み終わったらオン。。。
こんな働き方ができる仕事って存在しませんでした。
もともとバイクでの放浪癖があり、さらに学生時代のピザ屋バイトの経験があったので抵抗は全くありません。
これはもうセミリタイヤをしてからの小遣い稼ぎとしては理想的ですよね。
将来計画としては、すでに始めている不動産投資で月に15万円~20万円、株式・投資信託で月2~3万円、ウーバーイーツで月に8万円ぐらい稼げれば幸せなセミリタイヤ生活が送れるかな、と思っています。
ちなみに、ウーバーイーツで月8万円稼ぐのはどんな感じでしょうか。
月に8万円ぐらいということは週に2万円です。
時給制と違って注文が入らないと一円にもなりませんので、平日に一日4時間働けば良いのかというとちょっと違います。土日の昼時夕食時は時給1500円~1800円ぐらいになりますが、平日の20時以降は私の地域ではぜんぜん注文が入らず、時給400円ぐらいになってしまいます。平日の飯時は時給1200ぐらいな感じです。
私が今まで配達していた経験から、土日に例えば10時~13時、17時~20時といった具合に6時間ずつぐらい働けば一か月7~8万円弱はいくかな、という感じです。
平日も2、3日織り交ぜればもっとうすーくしても良いですね。
でももっと稼いでしまう気がします。だって楽しいんですもの。
最初はちょっとコツが必要ですがすぐに慣れます。皆さんもセミリタイヤの収入の足しにウーバーイーツはいかがでしょうか。
セミリタイヤへの現在位置について
みなさんのブログを見ていると、1000万円の運用でリタイヤする方もおり、価値観は本当に様々だと思っています。
正直なところ、今現在も仕事以外に不動産収入と遊びでやっているウーバーイーツの稼ぎもあり、贅沢を言わなければすぐにでもセミリタイヤは可能なのですが、将来を考えるともう少しがんばっておきたいという気持ちがあります。
仕事のほうも数年かかるプロジェクトをまとめる管理職をしており、ちょっとそれを投げ出したくない気持ちがあるのでセミリタイヤはそのあとですね。
そういうわけで、このブログはいまは「50歳までに稼いでセミリタイヤできるかどうかわかりません」というブログではなく「絶対セミリタイヤするけど、それまでにできるだけのことをしておきたい」という思いで綴るブログとなります。
お金のことはもちろんですが、セミリタイヤするにあたっての心構えや準備なども色々考えていきたいと思います。
私たちは極めて稀有な瞬間にいる<みんな、旅に出よう!>
地球の歴史を調べると、地球は46億年前に生まれたのだそうです。
それから長く生物が存在しない時期が続き、38億年ぐらいまでに極めて原始的な生命が生まれる。
さらに長い時代を経て人類が生まれたのが20万年ほど前だそうです。
・・46億年前に地球が生まれ、その45億9980万年後に人類が生まれた・・
これは現在までの地球の歴史を1年に例えると、
1月1日0時に地球が生まれ、12月31日の23時40分ぐらいに人類が生まれたことになるとか。
人類が生まれ、さらに苦難の歴史は続きました。
自然の猛威、人類同士の争い、社会は安定しても理不尽なまでの税金(年貢)。。
私たち日本人が安心して休暇を取ったり眠ることができるようになったのは第二次世界大戦後、1945年以降だと言えるかも知れません。
一般の人が自由に旅をすることができる時代が来るにはさらに時間がかかりました。
人が1日以内で他国に行けるようになったとはほんの100年以内のことです。
飛行機代が庶民の手に届きやすくなり、学生でも気軽に海外に行けるようになったのは1990年代以降でしょう。
2010年頃まで、飛行機に乗って他国へ行っても現地ガイドの案内なしでは自由に動くことは大変難しかったことを覚えています。
現地での言葉の問題、交通の問題などがありました。
しかし、スマホが普及し海外でSIMを購入して情報を得られるようになり、
言葉の問題や交通の問題も多くが解決されるようになったのです。
そのような状況が普及したと言えるのは、この5年ぐらいといったところでしょうか。
地球の誕生をぴったり46億年前とするなら、
日本人が「比較的気軽に世界中に行ける価格の交通手段があり」「多くの国へ行けるパスポートを持つことができ」「現地で自由に動くことができるツール」を手に入れたのは
地球誕生から45億9999万9995年という極めて最近のことだと考えることができます。
そして、いま世界に変化が起きていることを感じている人も多いでしょう。
世界は広く人々を受け入れてきた時代から、排他的な時代に突入しつつあります。
まず中東に行きづらくなったことは皆さん感じることでしょう。
コロナの騒動があり、ヨーロッパでも差別が広がっています。
これからの時代もずっと我々が世界中をまわることができるのか、
私は疑問を持っています。
また日本の国力が衰え、発展途上国の方々のように財力的に世界旅行が難しくなるかも知れません。
もしかしたら我々日本人がスマホを持って自由に世界を旅できる時代は、地球の歴史でほんのこの数十年かも知れないのです。
みんな、旅に出よう!(ただしコロナ後に)
リタイヤ生活者との出会い
実は私、30歳ごろに会社を一度辞めて、1年ほど海外で暮らしていました。比較的若い時期に、そこでリタイヤ生活をするご夫婦に出会い、その生き方に憧れてしまったんですね。
そのご主人は元社長で、カナダの大きなマンションのペントハウスに住んでいらっしゃいました。
ヨットを所有し、絵に描いたような素敵なリタイヤ生活。。
でもその方との短いお付き合いのなかで、私が憧れた部分はどこだったのかというと、豪華な生活ではありませんでした。
それは「自由」です。
起きたい時間に起き、好きな時間を過ごし、寝たいときに寝る。
もちろん働きたければ働いてもいい。
カナダでの生活は疑似リタイヤ生活でした。自由を満喫したのです。しかし二つそのリタイヤ生活の方との違いがありました。
「使える額」と「継続性」です。
前者は私にとって憧れの対象ではありませんでしたが、後者は極めて重要で、当時の私には不可能なものでした。
かくして私は資金を使い果たし、日本に戻り再びサラリーマンとして働くこととなったのです。
幼いころから私が見てきた周りの大人は全員働いていました。父はもちろん働いていたし、祖父も身体が動かなくなるまで自営業で働きつづけました。
当然私も大学を卒業したあと就職し、働きました。人間というのは学校を卒業したら働き、65歳まで勤め上げてそこからは年金で静かに暮らす。
それが当たり前だと思っていたんです。
もちろん知識としてリタイヤという言葉は知っていましたが、私にはまったく関係のない話だと思っていました。
しかしカナダでの出会いと仕事をせずにカナダで生活するその生活そのものが私の人生を狂わせた(笑)のです。
「リタイヤしてもいいんだ。。」
家族や社会に対して負担をかけなければ、好きなことをしていい。
具体的な方法はわからないまま、そんな憧れを心に抱きながらのサラリーマン生活が再開したのが30過ぎのころのことでした。